物欲がなくなった・欲しいものがない40代女性へ!そのままでいい

若いころは、ショッピングモールに行くのが好きだった私。
買い物が好きで、今でもネットショップで可愛い洋服を眺めることが日課です。
それでも、今では欲しい物を見つけても「後でいいかなっ!」と思ってしまうこの頃です。
もしかして、「脳の老化かも?」と時々不安に感じてしまうんですよね。
私の場合、アラフィフに突入して、めっきり物欲がなくなってきたようなのです。
皆さんはどうでしょうか?
今回は、「欲しいものがない・・・」「老化かも?」と気になっている人向けに記事を書きました。
同じ悩みをもっている方は、参考にしてみてくださいね。
物欲がなくなったのは承認欲求を満たす必要がなくなったため
まず、結論から。
私のことを分析してみたら、物欲がなくなった理由は、承認欲求が減ったからだったんです。
承認欲求とは、誰かに「〇〇さんすごいね!」と言われたい欲求のこと。
誰でも褒められたい欲求はあっていいと思いますけど、でも承認欲求の段階で留まることは危険なんですよね。
なぜかというと、承認欲求で自分が満たされることがないからです。
人は「もっと褒められたい」「もっと認められたい」と欲求がどんどん大きくなっていきます。
世の中で、「私スゴイでしょ」というマウントの取り合いがあるのも、承認欲求に限度がなく、承認欲求で自分を満たすことはできないからです。
私の承認欲求が減った理由
じゃ、なぜ私の承認欲求が減ったのか考えてみました。
物欲がひどいのは、承認欲求を満たすだけだと気づいたから。
- 物より体験にお金を使いたい
- 大量消費に疲れてしまった
- 広告に踊らされていることに気づいた
- 自分が着飾っても誰も幸せにできないと気づいた
このような理由からなんですね。
少し前の私だったら、物欲がすごかったです。
ネットで見つけたバーゲン品を大量に買っていた時代がありました。
その当時も、「こんな無駄なもの大量に買ってダメだな・・・」とは思っていました。
でも、買い物をする欲求を止められなかったし、安いものを買っては自分にダメ出しばかりで、ますます自己愛が下がっていったように思います。
安いものを買う→自己否定→もっと自分を満たすため買う
このように、悪循環に陥っていたのです。
物欲が減ったきっかけはスピリチュアル
私が物欲を減らすことができたきっかけは、スピリチュアルでした。
スピリチュアルと聞くと、「そんな宗教的なもの!」とか、「なんか怪しい宗教にハマったの?」みたいに思うかもしれない。
私が学んだのは、本質的なスピリチュアルでした。
ふわっとスピリチュアルではなく、自己愛を高める方法です。
具体的には、
- 今の自分で完璧
- 誰かと比べなくていい
というもの。
世の中にある「もっと上を目指しましょう」「輝いている女性は素敵」という女性像は、つくられたものだと気づいてしまいました。
単なるマーケティングでしかなく、企業が商品を売るための戦略でしかなかったのです。
世の中の仕組みを理解すると、大量消費に違和感をもつようになり、煽るような広告を見かけても、心に響かなくなっていきました。
本質的なものを見られる視点ができたので、企業のうわべでは飛びつかなくなったのだと思います。
例えば、最近問題となっているウイグル人の人権問題。
日本の大手衣料メーカーも関わっていることが判明しましたよね。
新疆綿といわれるプレミアムコットンを使っている企業の裏側が表に出てきました。
ある有名企業は、「気を付けているのでこれからも使い続けます」と言うところもあれば、「ノーコメントです」と回答しない企業もありましたね。
どちらも、私が普段から使っていたメーカーなだけあって、ショックでした。
私は、安さや企業の印象の良さだけで決めないで、ちゃんと製造にまで配慮している商品を選びたいと思います。
物より体験にお金を使いたい
そんな大量消費に疲れてしまった私は、物よりも体験にお金を使いたい気持ちに変わっていきます。
確かに、今でも欲しいものはたくさんありますよ。
- 庭で使うハンモック
- 壊れた芝刈り機の購入
- 10年くらい履いている靴の新調
- 軽いリュック
- 登山用のシューズ
私が欲しい物を考えてみると、どれも体験に関係するものでした。
庭で使うハンモックは、お家時間でリラックスしたいから。
そして、リュックや登山用靴が欲しいのは、自然に触れられる体験がしたいからですね。
最近の私は、レジャー施設で楽しく過ごすより、自然との触れ合いを求めるようになりました。
よくよく考えてみると、旅行でも体験したことが深く思い出に残っているのです。
例えば、台湾の九份での夜の賑やかな雰囲気よりも、翌朝人が少ない中でゆっくり九份を見てまわったときのほうが印象的でした。
九份で寝ている猫、部屋から見たバイクの様子、犬が普通に道路を走っている様子とか。
作られたものより、その地域の自然な暮らしに魅力を感じましたね。
物は心に残ることは少ないけど、私が体験したことは一生の思い出となります。
そして、何よりも私が着飾ったところで、誰も幸せにできないんです。
確かに女性は綺麗でいたほうがいいけど、それは自己愛とは違います。
他人目線で考えている限り、自己愛は高まらないし、同時に承認欲求も満たされないと気づいてしまいました。
欲しいものがない私が求めるもの
- 情報にはお金をかけるのに抵抗ない
- 結局いきつくのはリラックス・癒し・動きやすいものだけ
- 結局は作り手の想い、想いが伝わらない商品がいい
- レジャー施設よりも自然の中散歩していたい
このような欲求があります。
欲しい物は少ないのですけど、情報にお金をかけるのに抵抗はありません。
情報は自分を高められるもので、他人の思考を自分に取り入れられるためです。
そして物を買うとしたら、作り手の想いが伝わるものを選びたい。
企業が「儲かるため」じゃなく、作り手が本当に良いと感じている商品を選びたいと思います。
例えば、同じ靴を10年くらい履き続けているのですけど、そろそろ「新しい靴が欲しい」と思っても、気に入った靴が見つけられていません。
たぶん、今は物が溢れすぎて、どれを選んでいいのかわからないのでしょうね。
「コレだ!」という商品や、自分の欲求を満たす感じがないと、買いたい気持ちになりません。
その買いたい気持ちを揺さぶるのは、作り手の想いなんじゃないかと思っています。
物欲がなくなった・欲しいものがなくても問題なし
結局、自己愛を高めることができれば、物欲がなくなるのは当然のことだったのです。
「脳の老化かも?」「欲がなくヤバいかも?」と焦る必要はありませんでした。
年齢を重ねれば、人生経験からうわべだけじゃなく本質を求めるのは当然ですよね。
企業の大量消費のための広告に違和感をもっても不思議じゃないです。
アラフィフになって物欲がなくなった人は、物より体験をするといいと思います!
最近私が欲しいものは、実用的なもの・リラックスできるものばかり。
私の場合は、体験のために役立つ物なら欲しいと思うようになりました。
同じような悩みを抱えている方の参考になれば幸いです。